2002/11/1
冷泉為相墓
冷泉為相(れいぜいためすけ)は藤原定家の孫にあたり、冷泉家の始祖です。父の藤原為家の死後、異母兄為氏との間で播磨国(兵庫県)細川庄の相続争いが起こり、その訴訟のために鎌倉に下った母阿仏尼のあとを慕って鎌倉に来て藤ケ谷に住んだとされ、正二位中納言であったことから藤谷黄門(黄門は中納言の別称=水戸光圀も中納言であったので水戸黄門)と呼ばれました。墓は浄光明寺の背後の山頂にあって、玉垣は水戸光圀が寄進したとされます。
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