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鶴岡八幡宮境内の西側に、神奈川県立近代美術館の本館があります。日本で最初の近代美術館として、1951年(昭和26年)11月にオープンして、開館第1回展に「セザンヌ・ルノアール展」が開催されました。 |
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本館の新旧部分はどちらも故板倉準三氏の設計になるもので、白亜の清楚な近代建築として、外国でも高い評価を受けているそうです。 |
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鎌倉駅に最も近いお寺がこの大巧寺(だいぎょうじ)で、「おんめさま」の名で親しまれている安産祈願で有名な日蓮宗の寺です。 その起源は天文元年(1532)第五世の日棟が、難産で死んだ秋山勘解由の妻の霊を鎮めるために、産女霊神を奉ったことに始まると伝えられています。この産女霊神が「おんめさま」と呼ばれて、安産の神様として信仰を集めているのです。 もとは十二所と呼ばれるところにあった大行寺という真言宗の寺でしたが、頼朝がこの大行寺での軍議の後、大勝を収めたことから、いまの大巧寺に改めたと伝えられます。このことから寺の表に「頼朝戦評定所」の石碑が建てられていますが、実際にはこの場所で評定がされたことはありません。 |
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このように山門を出ると、若宮大路という鎌倉の中心道路があって、その向こうが鎌倉駅になります。そして境内は小町大路という日蓮辻説法跡がある道に、通り抜けられるようになっているために、一つの生活道路として利用されています。 |
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鎌倉の長谷(はせ)には、大仏と並んで大きなことで名高い長谷寺の十一面観世音菩薩があります。(残念ながら撮影禁止でここにアップできません)木造で9,18メートルあって、奈良の長谷寺の尊像と同じ、一本のクスノキの霊木から造られたとされています。 板東三十三観音霊場の第四番札所でもあり、文永元年(1264)銘の梵鐘などの国の重文などの文化財も数多く見られます。最近は境内を回遊式の庭園にして、四季折々の花々が楽しめるようになっています。 |
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| 長谷寺は、山号を「海光山(かいこうざん)」と言います。本堂横手の見晴台からは由比ヶ浜から相模湾、天気が良ければ陽光きらめく波の彼方に、遠く三浦半島の先端まで眺めることが出来ます。海の向こうの左手には逗子マリーナが見えて、その先は葉山になり、さらには三浦半島が右手に続いています。 |
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トランペット・フラワーともいわれ、凌霄花と漢字をあてられてノウゼンカズラと呼ばれています。蔓性で一際南国的な色を見せていますが、もともとは中国原産で、日本には918年頃に伝来していたとされる歴史の古い花です。 これは長谷寺に咲いていたノウゼンカズラですが、この時期の鎌倉の寺には、鉢に植えられた蓮と同じく、よく見られる花の一つです。花の蜜が失明を招くという伝説があります。 |
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文応元年(1260)、日蓮が『立正安国論』を北条時頼に建白したとき、時頼の家臣、宿谷光則の父行時を通じたされます。その後、文永8年(1271)に日蓮が佐渡に流罪になった折り、光則はこの地にあった自邸で、日蓮と共に捕らえられた弟子の日朗を監視する役にあたりました。 その後に日蓮に帰依した光則が自邸を寺にし、父の名の行時を山号にして「行時山光則寺(ぎょうじさんこうそくじ)」としたとされます。本堂の前には、樹齢が200年といわれる海棠(カイドウ)の古木があることでも有名です。 |
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日朗は日蓮が指名した本弟子六人の一人で、早くから日蓮に随っていました。文永8年(1271)の、世に言う龍口法難の折りには捕らえられ、ここ宿谷光則の館の裏山にある土牢に幽閉されたとされます。 この土牢の左手には、佐渡流罪に前夜に、日蓮が日朗に送ったいわれる手紙「土籠御書」の石碑が建てられています。 |