2002/7/12
行時山光則寺
文応元年(1260)、日蓮が『立正安国論』を北条時頼に建白したとき、時頼の家臣、宿谷光則の父行時を通じたされます。その後、文永8年(1271)に日蓮が佐渡に流罪になった折り、光則はこの地にあった自邸で、日蓮と共に捕らえられた弟子の日朗を監視する役にあたりました。
その後に日蓮に帰依した光則が自邸を寺にし、父の名の行時を山号にして「行時山光則寺(ぎょうじさんこうそくじ)」としたとされます。本堂の前には、樹齢が200年といわれる海棠(カイドウ)の古木があることでも有名です。
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