鎌倉宮の本殿裏に護良親王が、建武元年十一月から翌年の七月二十三日までの九ヶ月間のあいだ、幽閉されていたと伝えられる土牢があります。親王は征夷大将軍になりましたが、武家の棟梁である足利尊氏などと軋轢が生じ、ついには勅勘を蒙り鎌倉の足利直義のもとで幽閉されました。その後、鎌倉幕府の残党の北条時行が鎌倉に攻め込み、遁走を余儀なくされた直義が後難を恐れて、家臣の淵辺義博に命じて親王の首を落としたとされます。しかし実際に幽閉をされていたところは土の塗籠牢で、土牢ではありません。
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