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九州の太宰府天満宮、京都の北野天神と並んで、日本三古天神の一つに数えられ、社伝によると長治元年(1104)の勧請とされ、頼朝は当社を幕府の鬼門の鎮守としたと伝えます。御祭神は学問の神様の菅原道真公で、受験シーズンには沢山の受験生が合格祈願に訪れ、奉納した絵馬がギッシリと外壁に吊されています。 |
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鎌倉、二階堂の小高い山懐に朱塗りの本殿と拝殿が祀られています。ここは幾度か火災に遭っていますが、鶴岡八幡宮の修造のたびに、その古材や残木をうけて社殿などを造営しています。この御社殿も関東大震災の後に、八幡宮の仮宮を移築したとされます。ご神体は憤怒形の天神像(怒り天神)で、弘長元年(1261)の銘が残されています。 |
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| 荏柄天神境内の小高いところに、漫画家の横山隆一や小島功が発起人になって建立された絵筆塚があります。筆の軸の部分には横山隆一などの描いた漫画が貼り付けられています。ここでは毎年、筆供養や針供養がいとなまれています。 |
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鎌倉の二階堂と呼ばれる地の最奥に瑞泉寺があります。近年は梅や水仙などの花々、紅葉などが美しいお寺としていつも沢山の参拝者が訪れていますが、そのもとは文字通りの山寺でした。向かって右が近年になって整備をされた参道、左はそれ以前のもので俗に鎌倉石と呼ばれる石で急な階段が造られています。市内の多くの寺院の参道はこのような姿をしていました。 |
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| 瑞泉寺は錦屏山と号し、開山は夢窓疎石(ムソウソセキ)、開基は二階堂道蘊(ニカイドウドウウン)で嘉暦二年(1327)創建、足利基氏が中興開基とされます。この辺り一帯を紅葉谷(モミジガヤツ)と云うことから、錦屏山と山号を付けたと思われます。夢窓国師は山頂に一覧亭を建て、富士山を楽しんだと伝えられ、事実、旧鎌倉にある寺で他に富士を望めるのは海岸の光明寺など僅かです。梅は、本堂付近が満開を迎えた頃には下の参道付近が咲き始め、長い期間を楽しめます。 |
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| 臨済宗円覚寺派に属し、正面は釈迦如来、向かって右は開山夢窓国師像(本物は重要文化財で開山堂)、左に水戸光圀ゆかりの千手観音像が祀られます。光圀が元禄二年頃に閉居したと伝えられ、一覧亭を再建しました。また幕末には吉田松陰の外叔父に当たる人が住持をしていた関係で、松陰とも縁があり、度々この寺を訪ね、アメリカ密航を企てたときの旅費を借りたりもしています。 |
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| 足利尊氏・直義兄弟が夢窓国師の勧めによって、南北朝からの一連の動乱による戦死者の供養と国家の安泰を祈願するために、全国に安国寺を建立して、利生塔を祀りました。その故事にならって、元弘三年(1333)の鎌倉攻めによる死者をはじめとする多くの戦没者の霊の追善と、国の平安を祈願して、瑞泉寺先代ご住職とはかって私が境内に設計、寄進をした供養塔です。塔は寺伝によって、北条高時の首が埋められたとされる天台山頂上を結ぶ位置に立ち、塔の下には妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五などの写経八百巻が納められています。 |
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| 瑞泉寺の本堂前に、牧野富太郎博士がこの木を見て「黄梅」と名付けたとされる貴重な梅があります。鎌倉市指定文化財にもなっています。文字通り黄色い可憐な花を咲かせます。 |
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| 本堂の裏には夢窓国師の作とされる庭園があります。国の名勝に指定されている山裾の岩を刳り抜いたりした禅風の庭で、写真の正面やや右手には滝が造られており、山頂に溜めてある雨水を落とすようになっています。奥の竹林から渡ってくる風を感じながら見る庭は、心の塵を払ってくれるようです。 |