2001/11/30

鎌倉の窓

 

木曽義高の墓

木曽義高の墓

  木曽志水冠者義高は、木曽義仲の長男です。義仲が挙兵後に源氏の嫡流である鎌倉の頼朝に、その長女大姫の許嫁で養子として送られてきましたが、実際には人質です。義高は12歳位で大姫は7歳程であった考えられていますが、二人は仲睦まじく過ごしていました。
 結局は義仲は討たれ、義高は頼朝に疎まれるようになり大姫もそれを察して、父頼朝に懇願しましたが聞き入れられないと知り、遂に隙を見て自分の衣装を義高に着せて女装させ逃がしました。しかしこれが頼朝にとっては義高を切る口実を与えることになって、入間川の河原で首をはねられてしまいました。
  その首が鎌倉に送られ、首実検の後に常楽寺の西南の田圃に葬られました。人々はそこを「木曽免」と呼んでいましたが、1680年(延宝8年)頃に青磁の人骨の入った壺が見つかり、常楽寺の裏山に移され塚が造られ、木曽清水冠者義高の墓として祀られています。

 

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