2001/09/24

鎌倉の窓

 

ぼたもち寺常栄寺

萩の寺・宝戒寺

 現在の鎌倉のメーン ストリートである若宮大路を鶴岡八幡宮に向かって歩き、八幡宮前を右に折れた突き当たりに宝戒寺があります。鎌倉時代のこの辺りは、執権北条氏の館がありましたが、元弘3年(1333)に北条一族が滅び、3年後に一族の霊を弔うため、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて屋敷跡のこの地に宝戒寺を建立しました。
 本尊は子育経読(こそだてきょうよみ)地蔵大菩薩。

 

白萩にうまる参道

白萩にうまる参道

 宝戒寺は「鎌倉のハギ寺」として有名で、正門から本堂に通じる参道は、このように白い萩で埋められます。ここは何故か白い萩ばかりを育てているために、赤い萩の花は見られません。咲き乱れる赤い萩を期待して来て、心なしか落胆する観光客も少なくはありません。

 

白い彼岸花

白い彼岸花

 宝戒寺の萩は白い花ばかりですが、彼岸花も白一色なのです。彼岸花というと「赤い・・」がイメージにありますが、白い彼岸花もあるのです。

 

建長寺 半僧坊参道

建長寺 半僧坊参道

 建長寺の奥には、鎮守として半僧権現が祀られている半僧坊があります。苔むしたこの参道をすすむと、250段余りの急な階段が、建長寺境内最奥の中腹まで続きます。その先は「鎌倉アルプス」と云われる、天園ハイキングコースにつながっています。

 

半僧坊のからす天狗像

半僧坊のからす天狗像

 半僧坊の石段脇には、半僧権現のお供とされる大小12体ほどの烏天狗の像があります。これらの像は再建されたもので、初代の像は戦争中に軍によって取り払われて、兵器などにされてしまいました。これは小天狗です。

 

からす大天狗像

からす大天狗像

  半僧坊本堂の階段脇には、大天狗像とこの大烏天狗像が参拝者を迎えます。からす天狗は武器を持ち、背中には鳥の羽を付けて神通力をも持っているされ、鎌倉最後の執権、北条高時が酒宴で狂乱したときには、そのまわりを小さなからす天狗が何匹も飛び回ったとされます。おもに修験道に縁が深く、伯耆大山のからす天狗がよく知られています。

 

建長寺半僧坊本堂

建長寺半僧坊本堂

 建長寺の半僧坊は、明治23年(1890)に時の霄(おおぞら)貫道管長が、夢に僧のような半俗人の老人を見て、その後、静岡県引佐郡の方広寺の御分霊を祀ったことに始まります。大祭は毎年、1月17日、5月17日、9月17日です。この本堂の前からは、由比ヶ浜から稲村ヶ崎の海が望めます。

 

初秋の鎌倉の山々

初秋の鎌倉の山々

 半僧坊の脇から天園ハイキングコースを登っていくと、目の前に鎌倉の山々と、その向こうに街と海が一望できます。そして秋が深くなっていくと、遠くに冠雪した富士山や伊豆の大島が望遠できます。この写真の正面は稲村ヶ崎が見えています。これから日毎に、山は秋の彩りが増していきます。    

 

河村瑞賢の墓

河村瑞賢の墓

 建長寺の奥の半僧坊に行く手前を左手に登ると、河村瑞賢の墓所があります。
河村瑞賢は江戸時代前期(1618〜99)の商人で海運・治水の功労者とされる人物です。伊勢国度会郡の貧農の子に生まれましたが、13歳で江戸の出て車力から身を起こし、品川の崖下に漂着する盂蘭盆会の瓜や茄子を集めて塩漬けを作って利益を上げ、それを元手に資産を作り、さらに明暦の大火で木曽の山林を買い占めて巨万の富を得たといわれ、綿密な調査をする勤勉家でした。
  その後、土建業や海運業に進出し、諸国大名からの注文を受け、東廻・西廻両海運の刷新と畿内の治水工事など功績を残しました。英正院傳籌瑞賢居士

 

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