2001/05/14

鎌倉の窓

 

源頼朝の墓

源頼朝の墓

 鶴岡八幡宮の境内を右手に抜けて横浜国大付属小学校の先、現在の清泉小学校の辺りが頼朝屋敷、大倉(蔵)幕府跡と云われています。治承4年(1180)9月には頼朝はこの地に入り、侍所、公文所などを設置して東国支配に乗りだし、建久3年(1192)には征夷大将軍になり鎌倉幕府を開きました。
  その地の北の山を大倉山といい、その中腹に頼朝の墓と伝えられる石塔があります。江戸時代の資料によると、昔は1メートルほどの五輪塔であったようですが、安永年間(1779)に薩摩藩主島津重豪によってこのように建て替えられたようです。旧い五輪塔の火輪(笠石)を重ねたものでしたが、数年前にイタズラで壊され二層より上を造り直しました。
  この地を頼朝の法華堂跡としますがあまりに狭く、個人的にはこれより東に30メートルほど離れた三浦泰村一族の供養塔がある辺りではないかと感じます。この付近一帯は島津家が持っていて、島津家の祖である忠久公や大江広元公の墓所が泰村一族のヤグラの上部にあります。これは島津忠久は、頼朝が比企能員の妹に生ませた子であるとの言い伝えがあり、薩摩藩24代の島津重豪が整備したもので、最近、鎌倉市に寄贈されます。

 

 

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