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東慶寺の梅 |
| 北条時宗夫人は御家人安達義景の娘で、時宗が亡くなりますと落飾、潮音院殿覚山志道となり1285年(弘安8年)息子の北条貞時を開基に東慶寺を開創します。その後、ここは女人救済の駆け込み寺として独特の歴史を歩みます。この右手に松ヶ岡文庫があり、正面の坂の手前を左に階段を上ると覚山尼などの墓所があります。左手の奥は墓所になっていて、多くの作家や文化人などが眠っています。 正式には松岡山東慶総持禅寺と称し、総持とは達磨大師の弟子総持尼に因み、禅の尼寺の意を込めたものです。明治になって寺法が廃止され、5年には円覚寺の末寺になり、35年に院代順荘尼が亡くなってから男僧の寺になりました。 |