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鎌倉の大仏 |
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あまりに有名な鎌倉の大仏です。建長4年(1252)に造られ、当時は金箔が貼られ、大仏殿の中に納まっていましたが、明応4年(1495)の津波によって堂が倒潰して露座になり、今日に至っています。最近の発掘調査では当時の大仏殿の礎石などが確認されています。この上品上生の阿弥陀如来は、浄土宗の光明寺のもと奥の院であった、大異山高徳院清浄泉寺の今も御本尊です。 |
大仏のお顔 |
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かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 与謝野晶子の歌ですが、実は上品上生の阿弥陀如来です。額の白毫は白銀で作られているそうで、その眼差しは750年も人々の営みを見つめてこられました。 |
鶴ヶ岡八幡宮 旗上弁財天 |
| 寿永元年(1182)に北条政子が、大庭景義や専光坊に命じて八幡宮境内の東西に池を造らせ、東の池は源氏として三つの島を造り、三を産として祝、西の池は平家として四つの島を造り、四を死として、平家の滅亡を祈ったとされます。その後、東の池に弁財天を祀ったことが旗上弁財天の興りです。しかし明治の神仏分離で破却され、昭和31年になって篤信家によって再興されて、昭和55年の鶴ヶ岡八幡宮800年を記念して古図に基づき復元されました。なお、これらの島は今も残っています。 |
銭洗い弁財天 |
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正式には宇賀福神社と云い、この鳥居に続く洞窟を抜けたところに神社があります。 |
銭洗弁財天境内 |
| 20メートルほどの洞窟を抜けると隠れ里のような境内が広がります。正面奥の岩屋の中がこんこんと清水が湧き出ている奥の院です。そこで参拝者はお金を洗います。 |
銭洗い風景 |
| 参拝者は備え付けのザルにお金を入れて、柄杓に汲んだ清水をかけます。 |
和賀江島弁財天 |
| 材木座光明寺本堂に祀られている八臂弁財天です。和賀江島に流れてきたと伝えられていますが、もとは江島神社に祀られていた弁財天が、廃仏毀釈によってここに運ばれたものと考えられます。 綺麗なお顔で皆さんに福を授けて居られます。 |
和賀江島と立春の相模湾 |
| 現存している我が国最古の中世の築港跡です。鎌倉時代にはここに港があって、中国(宋)とも交易がありました。建保4年(1216)に源実朝は宋の陳和卿の勧めに従って、宋に渡る計画を立てここで大きな唐船を建造しました。ところが、この浜は遠浅のために進水が出来ないまま、船は朽ちたと云われています。いまは石だけが残っていて、満潮の時にはこの様に微かに確認ができる状態です。遠くに稲村ヶ崎と江ノ島がかすんでいます。 |