鎌倉まつりには、舞殿で「靜の舞」が奉納され、人々は文治2年(1186)4月8日に頼朝の命で舞を舞った静のことを思い浮かべます。 【実際に静が舞ったところは若宮の回廊だと云われています。】
よしの山 峰の白雪踏みわけて いりにし人の跡ぞ 恋しき 賤(しづ)やしづ 賤の苧環(おだまき)くり返し 昔を今に なすよしもがな
静はその後に一人の男児を生みますが、頼朝はその嬰児が弟義経の子であるために奪い取り、頸をひねって由比ヶ浜に捨てさせたと云われ、静とその母は都に帰され、髪を落としたと伝えられます。ときに静二十歳、文治 3年の春のことでした。 石段の横の大銀杏は、別当公暁が三代将軍実朝を、父の仇として討つために隠れていたと云う、有名な伝説の大銀杏です。
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