2000/4/25

 

 

新緑の妙本寺山門

新緑の妙本寺山門

 長興山妙本寺。長興とは比企能員(よしかず)の、妙法とは その夫人の法名と伝えられます。日蓮宗で、池上の本門寺と 両山兼帯と唱えられて、住持は両寺を兼帯する例でした。はじめの頃は住持はこの妙本寺に居ましたが、徳川時代に入ると 本門寺に居る例になり、昭和23年に分離されるまで続きました。

 祖師堂の日蓮像は、日蓮在世中に日法が造ったと伝えられ、身延、池上本門寺とこの像は、同じ一木で造られた天下三体の像とされています。

 この地は比企ケ谷(ひきがやつ)と呼ばれ、比企一族が滅亡した場所とされ、滅亡の折りに逃れられた当時二歳の能員の末子が成人して学者になり、比企大学三郎能本と名乗り時の順徳天皇に仕えました。その後姪のよしこが将軍藤原頼経の人になったことから許されて鎌倉に帰り、日蓮の弟子になり この父の屋敷跡に御堂を建てたのが起こりとされます。

 山門を入った右手に二代将軍源頼家の子、一幡(いちまん)の袖塚や比企一族の墓などがあります。

 

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