【神さまのぶらんこ】 [鎌倉とんぼのページ]

[全部読む] [最新50] [1-50] [タイトル] [ツリー]


■三十番仏 最新発言から読む

718 名前:走る行者 :02/04/13(土) 15:31 (三十番仏) 
こんにちは。

「過去帳」の所で「三十番仏」というのが出てきましたが、18日が観音様だとか28日がお不動さんだとか部分的には知っているのですが、1〜30番すべて分かりません。
お手数ですが、各番号の仏様を教えてください。

宜しくお願い致します。

719 名前:鎌倉とんぼ :02/04/13(土) 16:44 (Re: 三十番仏と三十番神)→ Home
三十番仏や三十番神には2,3(三十番神は多数)の異説がありま
すが、オーソドックスになっているものを示します。

 一 日   定光仏     熱田大明神
 二 日   燈明仏     諏訪大明神
 三 日   多寶仏     広田大明神
 四 日   阿シュク如来  気比大明神
 五 日   弥勒仏     気多大明神
 六 日   二万燈明仏   鹿島大明神
 七 日   三万燈明仏   北野天神
 八 日   薬師如来    江文大明神
 九 日   大通智勝仏   貴布祢大明神
 十 日   日月燈明仏   天照皇太神
 十一日   歓喜仏     八幡大菩薩
 十二日   難勝仏     賀茂大明神
 十三日   虚空蔵菩薩   松尾大明神
 十四日   普賢菩薩    大原大明神
 十五日   阿弥陀如来   春日大明神
 十六日   陀羅尼菩薩   平野大明神
 十七日   龍樹菩薩    大比叡大明神
 十八日   観世音菩薩   小比叡大明神
 十九日   日光菩薩    聖眞子権現
 二十日   月光菩薩    客人大明神
 二一日   無盡意菩薩   八王子大明神
 二二日   施無畏菩薩   稲荷大明神
 二三日   得大勢至菩薩  住吉大明神
 二四日   地蔵菩薩    祇園大明神
 二五日   文殊菩薩    赤山大明神
 二六日   薬上菩薩    建部大明神
 二七日   盧遮那仏    三上大明神
 二八日   大日如来(胎) 兵主大明神
 二九日   薬王菩薩    苗鹿大明神
 三十日   釈迦如来    吉備大明神
 三一日   大日如来    天照皇太神 
      (種字は五点具足 胎蔵界)

 三十日仏(三十日秘仏)は、中国五代の頃に師戒禅師(戒禅師
とも)によって唱えられとされます。三万燈明仏などは典拠があ
きらかではないとされます。

 三十番神は、延久5年(1073)に比叡山の横川・如法堂で、良正
阿闍梨が法華三昧の修行のときに、法華経並びに如法堂守護のた
めに勧進したとされます。

720 名前:走る :02/04/13(土) 17:18 (Re^2: 三十番仏と三十番神) 

> >三十番仏や三十番神には2,3(三十番神は多数)の異説がありま
> すが、オーソドックスになっているものを示します。

早々の返信有り難うございました。
参考に成りました。

今後とも宜しくお願い致します。

(‘ー‘)/~~また。

721 名前:いちりん :02/04/16(火) 17:19 (法華と三十番信仰について) 

吉田神道と日蓮宗の関係を、ちと調べてみました。

────────────

室町時代に吉田兼倶(かねとも)によって、吉田神道(唯一神道、卜部神道)が大成された。

それまでは、神祇官の長官である神祇伯は、白川家が世襲していた。
白川家は、天皇陛下の大嘗祭などの儀式などを司っていた。
しかし、吉田神道は、白川伯王家を圧倒して全国の神社を支配するようになっていく。

吉田兼倶は、日蓮宗に宗論を挑む。
「日蓮が卜部(うらべ)氏の祖先から、法華三十番神の伝授を受けた」と主張。
三十番神が吉田神道に発することを、日蓮宗側に認めさせた。

この宗論を通じて、吉田神道と日蓮宗は結びつきを強め、吉田神道は法華信仰のひろい地盤に進出することができた。



吉田神道の教義は、神道を最高とし、儒教、仏教、道教は、神道をさかんにし光華を添えるものとされる。

道教を取り入れて、クニトコタチノミコトを大元尊神とよんで宇宙の本源とし、元と本を明らかにし、元神・元初に帰る道であるとする。

また密教の修法を取り入れて、神道加持、神道護摩、神道潅頂、安鎮法、火焼神事などをつくった。

江戸幕府は、吉田家を神道家元として公認したので、吉田神道は全国のほとんどの神社を支配下に治めた。

こうして吉田神道が重んじる、中臣祓や、天照大神、八幡大神、春日大明神の三社託宣をはじめ、吉田神道の教義は、全国の神社に浸透することになった。

────────────
以上は、「日本の宗教」(村上重良著・岩波ジュニア新書)参考。

722 名前:鎌倉とんぼ :02/04/16(火) 18:12 (Re: 法華と三十番信仰について)→ Home
>
> 室町時代に吉田兼倶(かねとも)によって、吉田神道(唯一神道、卜部神道)が大成された。
>

ご批判を受けるかも知れませんが、個人的には吉田兼倶はハッタリ
屋、山師的な人物であったと考えます。しかし、神道理念を根幹に
して、儒教、仏教、道教のエッセッンスを取り入れた発想は、当時
としては卓越したものであったと思います。
 
 そのバイタリティーに白川伯王家は圧倒されてしまいました。白
川家は、天皇を中心とした皇室祭祀の伝統が基本でしたから、その
枠から踏み出すことは出来なかった側面もあります。

 三十番神には大まかに数えて、禁闕守護・法華経守護・如法守
護・法華守護・如法経守護・仁王経守護・天地擁護・内侍所・王城
守護・吾が国守護といったものなどがあります。

 ここに挙げたのは禁闕守護と言われるもので、その中の大比叡大
明神とは三輪大神であり、小比叡大明神とは、もとから比叡山に鎮
座されていた大山咋神とされます。

724 名前:いちりん :02/04/18(木) 09:51 (比叡山と日枝神社) 
>>722

>  ここに挙げたのは禁闕守護と言われるもので、その中の大比叡大
> 明神とは三輪大神であり、小比叡大明神とは、もとから比叡山に鎮
> 座されていた大山咋神とされます。

比叡山と日枝神社の関係について、どうなりましょうか。
わたしの思うに、もとは日枝(ひえ)で、それが比叡(ひえい)になったような。

比叡山の山麓に、坂本がありますが、そこは信長に焼き討ちされたときに、みんな逃げたところです。
そこに日枝神社がありまして。

わたしが訪れたとき、なんとなく、おお、比叡山の御神体は、ここなのかなあと思ったりしましたが。

坂本は、きれいな水の流れる、穏やかな村でした。

725 名前:鎌倉とんぼ :02/04/18(木) 10:42 (Re: 比叡山と日枝神社)→ Home
 仰有るとおりです。
もとは「ヒエイ」と呼ばれていた山で、近江には大陸からの帰化人
が生活をしていて、文化も高かった地方の一つでした。不勉強で語
源までは調べておりませんが、日枝山、日吉山、稗叡山などと書か
れていました。

 もとは山の神として大山咋神(おおやまくいのかみ)が鎮座され
ていましたが、天智天皇の大津遷都(667)の時に、今の奈良の三輪大
社の大物主神(おおものぬしのかみ)を迎え、山岳信仰が定着され
るようになりました。

 また近江の帰化人を中心とする文化圏の影響で、比叡山を仏教の
聖地と見る感覚も生まれ、最澄が延暦寺を造り、平安遷都(794)に
よって王城守護の霊山と見られるようになり、国家的な信仰を得て
大いに力をふるいました。

 このころから、大物主神や大山咋神の神を延暦寺の守護神として
日吉大社が整備され、さらには日吉権現、山王権現とまつられ、山
王一実神道に発展していきます。

 信長の焼き討ちは文化財の歴史的には大いに損害ですが、あの当
時の延暦寺の僧侶の姿勢を見ると、過激には過ぎましたが、一面で
はやむを得なかったかとも感じます。

題名(省略可)
Email(省略可) Preview:

主 宰 者 鎌倉とんぼ morio@hugyou.jp
管理/総合 Webmaster info@ayus.net
管理/技術 Webmaster info@ayus.net
esbbs v4.1 by esaki